勝ち負けにこだわらない
世の中には勝ち組だとか負け組だとかいう価値観があります。
それは自分と他人を比べて、どちらが上か下かを決めることです。
大体は目でわかるものを比べて決めるのですが、僕はそんなものはどうでもいいと思う。
人生で一番大切なのは幸せかどうかだと僕は思う。
幸せは数値化できないし、目に見えるものではない。
自分が幸せだと思えれば幸せだし、思えなければ幸せとは言えない。
幸せかどうかなんて、他人と比べて決めることじゃない。
自分がそう思うかどうかで決めるものなんだ。
勝ち負けにこだわる必要なんて、1つもないんだ。
そんなのはどうでもいいこと。
本当に大切なのは自分自身がどう思うか。
それでも、たまに他人と比べてしまう時もある。
そういう時は自分が他人と比べていることを認識して、本当に大切なのは自分自身が幸せかどうかと考えることだ。
他人と比べて、いい気分になったり、悪い気分になったりしてはいけない。
それは他人しだいで自分の幸せがコントロールされることを意味する。
だから、他人と比べて自分はどうかなんてしなくていい。
自分の幸せは自分で決めるものだ。
たとえ、誰かに負け組と言われても信じてはいけない。
それはその人の価値観であり、あなたの価値観ではない。
たかが1人に言われただけで、自分は負け組だ、などと思ってはいけない。
世界には70億人の人間がいて、その中の1人に言われただけだ。
気にする必要はない。
たとえ、大勢の人に言われても気にしてはいけない。
それはあなたに何も良い影響を与えてくれないからだ。
あなたに悪口を言う人とは関わってはいけない。
その人といても良いことは1つもないからだ。
あなたは、自分を肯定してくれる人を大切にしなければならない。
その人は、あなたに良い影響を与えてくれるとても大切な人だから。
勝ち負けにこだわっていると幸せにはなれない。
だって、勝ち負けは幸せとは関係ないからだ。
幸せと大きく関わっているものは「人間関係」だ。
だから、あなたの周りの人は良い人や自分を肯定してくれる人で構成する必要がある。
良い人間関係を築くことができれば、あなたは幸せになれる。
良い人と付き合えば付き合うほど、あなたはますます幸せになる。
だから、悪い人と付き合ってはいけない。
反対にあなたをますます不幸にするからだ。
幸せになるためにあなたがするべきことは周りの人を良い人や自分を肯してくれる人でいっぱいにすることだ。
それだけで、あなたは幸せになれるのだから。
仕事がつらいなら逃げろ
今、電通の女性社員が過労によって自殺した件が波紋を呼んでいる。
電通といえば、広告代理店の大手で知られている。
しかし、大手企業で超ブラックな労働がされていることに僕は驚いた。
↑の記事を見ての通り、自殺した元女性社員は長い残業を強いられていて休日出勤も当たり前で、パワハラなどにも悩まされていたようだ。
このようなことになる前に何かできなかったのだろうか?
まず、会社が異常だ。
残業は当たり前、休日出勤も当たり前、パワハラセクハラが横行している会社など超ブラックというのを通り超している。
このような会社は改革が必要である。
きちんと労働基準法に照らし合わした業務内容にしなければならない。
日本にたくさんあるブラック企業をすべて駆逐する必要がある。
そうしなければ、彼女のような人をまた生み出すことになるだろう。
ブラック企業は必ずつぶさなければならない。
ブラック企業は不幸な人しか生まないのだから。
そして、もう1つ言いたいことは、彼女は逃げること出来なかったのか?ということである。
自ら自殺する前に、会社をやめる、会社に行かない、会社を休むという行動を取れなかったのだろうか?
これだけ働いてもまだ会社に行こうとするのはなぜなんだ?
たぶん、彼女は真面目だったんだと僕は思う。
真面目ゆえに彼女は逃げられなかったんだ。
きちんと自分の仕事をやり抜こうとする気持ちが彼女を自殺するまで追い込んでしまったんだ。
仕事が一番で、仕事仕事仕事と仕事以外に頭が回らなくなり、逃げるという選択肢が頭からなくなってしまったんだ。
そして、ふと頭に死ぬという選択肢が出てきて、それを選んでしまったんだ。
追い込まれて、追い込まれてそして限界まで追い込まれて、最後に彼女をこの苦しみから解放する選択肢として、選んだのが「死」だったんだ。
死ななくてもいい選択肢があったにもかかわらず、彼女が死を選んだのは、死しか選択肢が見えないくらいまで追い込まれていたからだ。
もっと早くに、逃げていれば助かったかもしれない。
だけど、彼女は真面目だから、最後まで仕事に責任を持っていたから、仕事を放り出すという選択ができなかったんだ。
彼女は悪くないんだ。
彼女をここまで追い込んだ電通に全ての責任がある。
電通や他のブラック企業には彼女のような人を二度と出さないようにしてほしい。
最後に、もしあなたが追い込まれて疲れているのなら、逃げて欲しい。
仕事から逃げてもいいんだ。
わざわざ仕事のために命を捨てるようなことはしてはいけない。
つらかったら逃げる。
これは悪い事ではない。
自分を助ける良い選択肢だ。
起業で大切なことは自己管理
最近、大学をやめて起業すると宣言した若者が注目を浴びているが世の中では起業はリスクの大きいことだという認識が大半の人にあることがわかった。
確かに、起業はサラリーマンをしている人よりもリスクが大きく、不安定だ。
だが、失敗したら終わりかというとそうではない。
失敗しても人生が終わるほどではない。
また挑戦するチャンスはある。
起業で大切なことは何かと聞かれたら、僕は「自己管理」と答える。
起業は自分で0から始めるものだと僕は認識している。
何もない0から何かを生み出すことが起業だ。
起業は誰にも縛られない。
すべて自分次第だ。
自分次第で成功するか失敗するか決まる。
そのような自由で可能性に満ちた世界では自己管理が大切になってくる。
自分をコントロールすることが出来なければ、成功することはできない。
起業して成功する人は休みなく全力で仕事をしている。
怠けていては成功なんてできない。
怠けずに、全力で仕事をするように自分を管理しなければ成功はない。
楽したい,休みたい、そういう欲求をコントロールして仕事に情熱を燃やす人が成功するのだ。
人間というのは、楽したいし、休みたい、とにかく怠ける方へ自然といくようにできている。
自己管理によって成功への姿勢をつくり、全力で仕事に取り組むことができれば、成功するだろう。
起業で多くの人が失敗する理由は、単に才能がないとかアイデアがないというわけではない。
自分をコントロールできるかできないかに懸かっているのだ。
人生の全てにこの自己管理はつきものだ。
勉強にしろスポーツにしろ生活にしろ多くの物事に自己管理は関わってくる。
自己管理ができるかどうかで人生が良くなるか悪くなるか決まると言っても過言ではない。
自己管理はそれほど大切なことなんだ。
自己管理はつらくて大変だろうが、自己管理によって大きな成功を掴むことができる。
自己管理には特別な才能は必要ない。
自己管理はコントロールなのだ。
自分をコントロールすることを継続することが重要だ。
1日1日の積み重ねが大切になってくる。
自己管理ができるかどうかに全てが懸かっている。
特別な才能も特別な行動もしなくていい。
当たり前のことを当たり前のようにするだけでいい。
多くの人は特別な才能や特別な力が必要だと思っているがそれは違う。
ただ、当たり前のことをすればいいだけなんだ。
多くの人は当たり前のことに気づかない。
多くの人は当たり前のことを無意識にしているからだ。
その無意識の当たり前に成功のカギがあるのだ。
ネットとリアル
今話題となっている長谷川豊さんは自身のブログで人工透析患者への過激な記事によってネット上で大炎上している。
なぜこんなことになってしまったのかという疑問について1つだけ言えることはネットと現実世界のつながりを軽視していたからと言えるのではないだろうか?
ネットの世界は現実世界とは違うからどんなことをしても大丈夫というようなイメージを長谷川豊さんは持っていたのかもしれない。
しかし、今やネットの世界と現実世界は密接につながっている。
ネットの世界を現実世界と違うものだと思っているならそれは間違っている。
例え、悪ふざけでネット上に殺害予告をした場合、これは犯罪となり逮捕される。
たかがネットだからといって軽視するのは危ない。
今や誰もがネットを使い、ネットを通じてつながっている。
確かに、ネットの黎明期ならまだそれほどネットは浸透していなかったからネットの世界と現実世界は違うものだと認識されていたと思う。
だが、今ではネットは人間生活に密接に関わるものとして存在している。
ネットの世界でも現実世界でも自身の振るまいを考える必要がある。
ネットの世界でも現実世界と同じく、ルールやマナー、モラルが求められるようになって来ている。
現実世界と同じようにネットの世界でもきちんとした振る舞いをするべきなのである。
ネット上のブログでの記事が現実世界でも影響があるという認識が長谷川豊さんには欠けていた。
ネット上での振る舞いは現実世界と同じようにするべきだ。
現実世界でしないことはネットの世界でもしない方がいい。
ネットの世界での振る舞いがそのまま現実世界へ反映されるからである。
今やネット上での書き込みなどを誰が行ったかは調べればわかるようになっている。
ネットの世界では、自分の素性は匿名でわからないから大丈夫というようなイメージは持つべきではない。
今や、ネットの世界と現実世界は同じようなものになっている。
自分のネット上での行いは現実世界と同じく正しく問題ないかを考える必要がある。
ネットの世界だからといって軽く見ていると痛い目に遭うのは避けられない。
長谷川豊さんと同様の記事や書き込みは今でも多くみられるが、他人がやっているから自分もやってもいいという考えはするべきではない。
自分の行いに責任を持つことはネットの世界でも現実世界でも変わらない。
もし、あなたのネットの世界と現実世界の振る舞いが違うのなら問題だ。
あなたはネット上で大きな問題を生む可能性がある。
ネットを利用する時にあなたの振る舞いが試されているのだ。
人と比べなくていい
自分と他人を比べることは生きていればよくある事。
だけど、比べることによって自分はダメだとか、あの人は自分より優れている、自分より幸せそうだとか思うなら比べることはやめた方がいい。
それはあなたを傷つけるから。
他人と比べてもあなたにとってプラスになることはほとんどない。
むしろ、マイナスの方が大きいはず。
他人と比べて自分は恵まれてないとか幸せじゃないと思う必要なんてどこにもない。
あなたが幸せだと思えば幸せだし、不幸だと思えば不幸なのだから。
あなたの価値はあなたが決めることであって他の誰かが決めることじゃない。
例え、誰かに価値がないと言われても信じてはいけない。
それはその人の思い込みに過ぎないのだから。
他人の思い込みなんて信じてはいけない。
あなたの価値は他人の思い込みで決まるものではないし、自分で決めるものだ。
あなたのことを悪く言う人の言葉なんて信じてはいけない。
信じても良いことなんて1つもないのだから。
あなたは自分には価値があると信じるだけでいい。
他人の言うことなんて聞く必要ない。
あなたは存在しているだけで素晴らしい価値がある。
それは紛れもない真実だ。
他人と比べなくてもあなたは素晴らしい人だ。
わざわざ他人と比べて確かめる必要なんてない。
あなたはそのままで十分に価値があるのだ。
例え、誰かに生きている価値がないと言われても信じてはいけない。
それは大きな嘘だから。
そんな嘘にだまされてはいけない。
自分と他人を比べて相手を劣っていると言ってはいけない。
それは相手を傷つけるし、あなたの価値を下げるからだ。
相手の悪口を言うということは自分は価値がないと言っているのと同じだ。
例え、相手が挑発してきてもその挑発に乗ってはいけない。
相手と同じところまで自分の価値を下げてしまうから。
自分と他人を比べることに意味なんてない。
それは無意味な行いだ。
無意味な行いで傷つくのはやめよう。
自分も相手も同じように尊重する方がいい。
その方がどちらも幸せになれるから。
相手を思いやる気持ちを持とう。
そうすれば、相手から思いやりが返ってくるから。
何ともあなたは比べなくていい。
あなたはこの世界で唯一の素晴らしい存在だから。
あなたは何も気にする必要はない。
すべてうまくいくから。
あなたは良い行いを進んでした方がいい。
そうすれば、良いことが返ってくるから。
あなたはそのままでいい。
そのままが一番だから。
あなたは誰とも比べなくていい。
比べる必要も理由も何もないのだから。
子供を産まない原因は完璧主義と失敗を恐れることにある
↑の記事を読んで思ったことは子供を育てるためにはこうでなければならないという思い込みに子供を産まない原因があると僕は思う。
先に挙げた記事の中では「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」という前提があると書いてあるが、これは確かにあると思う。
自分たちと同じくらい裕福で幸せな人生を保証することができないなら子供を産むべきではないという思い込みが多くの人にある。
でも、自分たちと同じくらい裕福で幸せな人生を保証することはできない。
時代やそのときの経済や世界情勢などの様々な要因によって豊かな時代と貧しい時代がある。
自分たちと同じくらい豊かに子供が生活できる保証は一切ない。
それなのに同じ程度裕福で幸せな人生を保証できないなら産まない方が良いというのは間違った思い込みである。
そもそも、今現在日本は人類史上最も豊かな時代で先進国なのにそういう考えが出てくるのは異常なのではないかと思う。
今までに自分たちと同じ程度の豊かを保証できないならば子供を産むべきでないという考えがあった時代はあるのだろうか?
そういう考えを持った人はどの時代も少なからずいたと思うが、なぜこの時代はみんながそういう考えを持ってしまったのだろうか?
たぶん、メディアやインターネットの発達によって情報が共有されるようになり、1つの考えをみんなで共有してしまったからではないかと僕は思う。
今の若者はお金がなくて貧しいから子供を産むことができないという1つの情報がみんなに共有されているが、果たして本当にその情報は正しいのだろうか?
ただ単にその情報を受け取って、そうだと思い込んでいるだけじゃないのだろうか?
人類史上最も豊かな時代なのに、貧しいからとか豊かじゃないからという理由はいささか筋違いなのではないか?
これだけ豊かなのに、貧しいという発想はおかしい。
たぶん、多くの人は完璧主義で、失敗を恐れているのだろう。
子供を産むには、ある程度豊かでなければならないし、不幸な人生にさせる訳にはいかないという考えがあると思う。
でもそれは無理な話だ。
ある程度豊かで幸せが保証させている人生を歩める人間はそうそういない。
完璧主義で、失敗を恐れているだけにしか僕には思えない。
多くの人は間違った思い込みをしている。
自分たちが堅苦しい考えをしているから将来生まれてくる子供たちも同じなのだろうという考えになってしまうのだ。
別に、ある程度裕福で幸せな人生を保証する必要はない。
そんなものはないし、それは生まれてくる子供が獲得するものだ。
自分たちがある程度裕福で幸せな人生を保証しなければならないというのは過保護すぎる考えである。
考えがネガティブ過ぎると僕は思う。
完璧主義で失敗を恐れているくだらない考えだ。
社会や他人、教育のせいにしても何も変わらない。
自分の人生は自分が全部責任を負うものだ。
子供の人生は子供に任せるべきだ。
親は少し手助けするぐらいで良い。
日本人はもっとポジティブに考えなければならないし、プラスの面を見る必要があると思う。
完璧じゃなくても良いし、失敗しても良い。
社会がこうだからじゃなくて、自分の考えを持って貫いた方が良い。
失敗しても大したことはないのだから。
好きなことをして生きるについて
好きなことをして生きるって最近よく聞きます。
好きなことをして生きることができたらそれは素晴らしいし、楽しいと思う。
だけど、好きなことをして生きるって簡単なのだろうか?
好きなことをして生きている人はほとんどいない。
ほとんどの人はつまらない仕事ややりたくない仕事をやって生きている。
好きなことでお金を稼ぐことってどういうことなんだろう?
ブログでお金を稼いで生活している「プロブロガー」ってたぶん、好きなことをして生きるに入ると思うけど、どうなんだろう?
ブログって好きなことを書いてお金が稼げるのだろうか?
たぶん、稼げない。
自分の好きなことを書くって日記と同じようなものだ。
自分の日記を読んでくれる人って多いのだろうか?
たぶん、少ないだろう。
ブログで稼ぐというと具体的には広告を貼って稼ぐのが普通だけど、広告を貼ってお金を稼ぐためにはブログの内容が優れている必要がある。
記事をよんでくれる人を感動させたり、考えさせたり、とにかく読んでくれる人のためのコンテンツじゃないとブログでは稼げない。
だから、好きなことをして生きるって難しいんじゃないかと思う。
記事を読んでもらうために工夫したり、考えたりする必要があるからブログで生活するのは簡単じゃないと僕は思う。
たぶん、好きなことをして生きていくってそれをやっていても苦にならないことを言うんじゃないかな。
それをやっていてもつらくないし、むしろ楽しいと思うことをやって生きることを「好きなことをして生きる」って言うんじゃないだろうか?
好きなことをして生きるのは簡単なことじゃない。
自分の好きなことを見つける必要があるし、それがお金を稼げることじゃないとできない。
だけど、好きなことをして生きていけるならそれはとても良いことだ。
そういう生活ができたら人生は楽しくなる。
だって、1日の内のつまらないことやつらいこと、めんどうなことがほぼないと言っても過言ではない。
仕事は人生のウエイトを大きく占めるけど、それがなくなるなんてすごいと思う。
好きなことをして生きていくことを実現することは簡単じゃないけど、実現できればすごい。
でも、みんながみんな好きなことをして生きていけるのかと言えばそうじゃないと思う。
誰かがやらなきゃいけない仕事だってあるはずだ。
みんなが好きなことをして生きることはできない。
好きなことをして生きたい人でもできない人はいる。
たぶん、好きなことをして生きるためには才能や運が必要だ。
例え才能や運が必要じゃなくても、努力は必要だ。
みんなが好きなことをして生きるのは無理だし、好きなことをして生きるのは難しいことだ。
生きるって大変だなと思う。